絶対に絶対に、なにがあっても
俺がそろえてあげるよ
013:君が欲しがったものはあの空の星よりも遠く
都庁を探して新宿が順繰りに車両をめぐった。新宿が都庁を気にかけるのはいつものことであるから取りたてて目立ちもしない。性質悪く同胞である六本木や月島がついてこようとするのをなんとか払い落した。せっかく好きなやつに会うのに二人きりになれないなんてナンセンスだ。意味がない。会うことに対する楽しみが半減してしまう。いないな、と呟きながら新宿が連結部分をくぐる。ミラクルトレインは一応地下鉄であるという体裁なので迷うことはないが時折不便は感じる。
「さき」
そろそろいるかなと思えば果たして都庁が座席にぼんやりと座っていた。読書していたのかその手元には文庫本がある。都庁は勉強家であるし努力も惜しまない。
都庁は新宿に気付いた様子もなく虚空を見つめている。役所じみて過剰な装飾とは無縁の眼鏡の奥の紅い瞳が潤んだように揺らめいている。新宿を無視していると言うより気付いていないようだ。都庁は良くも悪くも必ず反応するからそのあたりは間違いない。新宿が働いた暴挙で無視された経験もある。そのときとはまるで違うので確信が持てる。だから新宿は特に気分を悪くもせずに都庁の目の前へ立った。普段並ぶと都庁の方が丈があって悔しいので大抵は都庁が座って目線が下の位置にあるときに新宿は攻め込むことにしている。見上げる経験の少ない都庁はそれだけで少し動揺する。そういううぶなところがますます可愛い。
「さき。さーき?」
平素であれば呼ぶな訂正しろと怒られる下の名を呼んでも反応がない。本格的に思考の海へ落ちているようだ。さてどうしようと嘆息したところで都庁の目が瞬いた。白ウサギのように紅い瞳はそれ自体が発熱しているように鮮やかだ。
「新宿?」
「何考えてるんだよ、前は」
どさりと隣へ腰を下ろしても都庁は口元を引き締めるだけだ。反応できていなかった失態を悟っているようで新宿に対して少し甘くなっているようだ。新宿はこれ幸いと嵩にかかる。やれることはやれるときにする。まわせることはまわす。だが後回しにしては効果がないことがあるのも知っている。都庁のこの譲歩は逃したら次はない。
「前、俺より大事なこと? 誰のこと考えてたんだよ」
眼鏡に触れるくらい顔を近づけると都庁がううとうめいて体を引いた。丁寧に整えられている黒髪の短髪がわずかに揺れた。新宿の遊ばせるままにしている茶髪が都庁の頬を撫でた。重なっている唇に都庁の紅い目が集束して見開かれていく。
息を継ごうと離れて開く唇をさらに吸った。舌をからめてぬるく柔い感触を貪る。都庁の肩が震えて新宿は切りあげた。都庁は運動した後のように熱い息を吐いた。正面から見据える新宿に都庁も退かない。紅い瞳を潤ませてもにらみつけてくるのは子猫がじゃれつくように甘い。それでいて気をつけなければ思わぬ深手を負わされることさえもあった。
「前、俺には教えてくれるだろ? なにかあったか?」
都庁の目線の位置から眺めてもありふれた車内だ。スポンサーが明確ではないミラクルトレインであるから広告もどこかしら曖昧だ。とくがわの写真があったりして誰が貼ったんだと思う。
「……ほし、が」
「星? 星ってあれか、空の?」
都庁が黙って頷く。
「私達は星を眺めることはできないのかなと思っただけだ」
地下鉄であるから難しいだろう。地上に出る路線もあるが基本的に走るのは地下である。窓さえ無意味に見えるのだ、夜に限らず星や空を見るのは難しいだろう。
「降りて駅の外に出ればいい」
「…それは、私達の話だろう。他の駅たちは、望めない。ひどく特別のようででも、なんだかずるい、気がした」
ミラクルトレインに乗車する駅はある程度選別されている。同じ路線であってもここにいない駅たちはいっぱいいる。都庁の平等精神やそういうところは好きだが新宿は共感はしない。自分の知らぬところで決められたことにまで気を配るなんて無理だ。痛かろう辛かろうと言っても、言う当人が痛いわけではない。都庁の黒い睫毛が震えて伏せられた。都庁が殊更ゆっくり瞬くときは自己反省しきりの合図だ。新宿に言った言葉をたぶん、都庁は後悔している。しかも自分が悪いという方向で考えがちだから厄介だ。
都庁の紅い目が覗く。困ったように笑んでからすまないと詫びる。
「別に」
新宿の指がすっと伸びて都庁の眼鏡を奪う。かたわらへ置くのを都庁が不思議そうに見ている。眼鏡がない都庁の顔は案外幼い。前髪をあげて眼鏡をかけるそれは都庁が日々を戦うために鎧うものなのかもしれない。
「都庁、目を閉じろよ」
素直に閉じる。紅い双眸が消えて仄白いような目蓋が睫毛に彩られている。そこへ軽くキスをしてから新宿が両手で都庁の目を覆った。
「見える筈だ、お前の中に星はあるから」
ぴくぴくと目蓋が震えている。新宿は意地悪く手で覆ったまま声をかける。都庁は頑固だがその分素直でもある。諾々と従うような惰性ではなくそのままを受け取ることができる素直さを持っている。そのために痛みや損失を被ることを躊躇したりしない。
「探せばあるぜ」
「ないから探すのだろう…」
落ちこんだように声が萎れる都庁に新宿ははンと鼻を鳴らして笑った。
「ばか、探すからみつかるんだよ。探しもしないで見つかるものなんてない」
都庁の目蓋が新宿の手の中で震える。泣きだす前のようなのに儚く可愛くて新宿は意地悪く無視した。震えがおさまって来ると発熱したように緩やかに温かくなっていく。都庁が泣いていてもいいし怒りに震えていてもいい。新宿は自分が都庁に影響するのが大好きだ。良し悪しに関係ないそれは性質が悪いと言われるが直す気はない。都庁であるなら何でも愛せる。笑顔も怒った顔も、もちろん新宿を嫌いだと言っている都庁でも愛せる。
「……り、…ん、たろ…」
か細いように震える声が新宿の名を紡いでくれて、これだけで新宿は何をなげうっても構わないとさえ思う。無限の献身と同時に新宿の内部を浅ましく独占欲が埋めていく。都庁が俺だけを見てくれたらいい。でもそんな都庁を新宿は好きになりきれないだろうことを知っている。矛盾であり矛先さえ収まらない。どんな都庁も好きで、でも今の性質でない都庁を好きになるかは判らない。
「すきだよ、さき」
そんなふうにほら、泣きそうになっている人の好さとか、ミラクルトレインの選別に漏れた駅の心配をする優しさとか、俺以外をちゃんとみる責任感とか。好きなジャンルが微妙にズレているような世間知らずとか。
「…お前には星が、見えるか?」
「見える」
首を傾げそうな都庁の気配に新宿がクックッと笑う。素早く手を退けるとその気配に都庁がパチリと目を開けた。
「ほら、ここにいる」
少し火照ったように紅い目元の都庁がはぁ? と首を傾げた。
「俺が見たい星はここに座って目を真っ赤にして首を傾げてる。俺の欲しい星はここにいる」
揶揄するように言い募れば都庁の顔がみるみる紅くなっていく。言葉さえないようにわななく唇が火照って紅い。化粧したみたいだ、と思いながらも言わずにおく。都庁はその黒髪との対比も鮮やかに肌が白いから唇が紅いのは映える。美人だよ、なんで誰も気づかないんだ、いや気付いている厄介なやつらはいるけど。
「お前は眺めるだけじゃなくて触れる星だから好きだな。もちろん綺麗だ、でも触れるってことも重要だろ?」
都庁が不満を述べる前に唇で塞いだ。驚いたように見開かれてもとろりと潤む。紅い瞳だから潤むと光の乱反射で泣いた後の紅さのようだ。それはある意味で宝玉だとか鉱石だとか、そういう透明で固くてきれいなものにも似ている。綺麗だと思う。同時に手に入れたいし愛しんでやりたい。欲しがるなら与えたいし、新宿もまた都庁から欲するものがある。
都庁は不満げに口元を引き結んだが行為自体を責めたりはしなかった。新宿の手が都庁のタイをもてあそぶのも好きにさせている。都庁の平素から考えれば限りない譲歩だ。気付いてないだけかも、と思う。赤らんだ目元や頬、引き締まる唇は都庁の緊張のようだ。
「おまッお前は、誰にでもそういう、事を」
「言わない。前だけだぜ? 月島にも六本木にも言ってない」
頼まれたって言わないが、とは心中に収めておく。何故か都庁の中で月島と六本木と新宿はひとくくりになっているようで、通じ合うものがあると思われている。事あるごとに月島の方がリーダーのようだろうとか、六本木の方が愛らしいだろうと僻まれる。新宿は欠片も思わないから素直に思わないと言うのに、都庁は機嫌が悪いと穿ってみる。都庁の鈍さで愚痴る付き合いをどうも仲が良いとくくられている。
「………ほんとう?」
ずいと体を前傾させて下から窺い見る都庁はすごくかわいい。弛みっぱなしになりそうな口元を引き締めて新宿は見栄を張る。本心から好きであるし愛らしいと思うからほめちぎる言葉も真に迫る。
「本当だよ。本当の本当だ。カミサマに誓ってもいい。俺は都庁が大好きだ」
ほわりと都庁が笑んだ。照れたようなそれでもにじむ嬉しさに新宿の方がとろけてしまう。
「ありがとう」
「…――ほんっと、前は可愛いな!」
大型犬に抱きつくように新宿が抱きしめた。都庁の方が丈があるので案外間違いではない。
「えッわッり、りんたろ、…」
抱きしめて押し倒しながら新宿は都庁を見据えてにやりと笑んだ。都庁もむぅと唸ったが何も言わない。
「欲しいものが手に入ってるって、最高だな」
「………そうだな」
頬を寄せる新宿に都庁がバタバタ眼鏡を探す。新宿はあえて気付かぬふりで裸眼の都庁を見つめた。ふっと緊張が弛んだように二人同時に笑んだ。
「ほしがみえたようなきがする」
「見えてるんだよ、気づけ」
どちらからともなく唇を重ねた。
《了》